甘食について

こんにちは
当ホームページにお越しくださいましてありがとうございます。どのような経緯でこちらにいらっしゃいましたでしょうか?当店は今の時代にはちょっと風変わりなことを普通にしたいと願っているお店です。
分かりにくい点が多々あると思いますが、少しでもご縁のある方に楽しんでいただけるよう努めますのでよろしくお付き合いいたければ幸いです。これも何かのご縁と思われますのでごゆっくりご観覧ください。
店主

  • 当社は
  • 当社は1979年に手づくり無添加のパン屋として福島市の少し外れに位置する商店街に店舗を構えました。
    商店街も当時は活気があって様々な業種が20件ほどあったと記憶しています。
    勢いのあった時代とアイデアマンだった先代創業者は次々と新しい仕掛けをし、中でもパンの移動販売はかなりの先駆けで、2020年になった今でも思い出として残っているお客様がいることに驚きます。
    しばらくして近所に大型スーパーができると、商店街は一件また一件と減ってゆき、現在商店街で残っているのは店舗付き工場となった当店と他数件になってしまいました。細々と作っていたパンは震災と共に今はお休み中です。
    震災前の10年前から物産展に参加するようになりました。今年で20年になります。物産展では創業当時頃から作っていた甘食ぱんを実演販売で焼き立てを販売しております。
    甘食というお菓子が持つ懐かしさと素朴な魅力なのでしょうか?とにかくお話をされていくお客様が多くいらっしゃいます。甘食が当たり前におやつとして身近にあった私にとっては、様々なお客様から様々なお話を聞けることは新鮮でたくさんの発見や驚きがありました。
    このコーナーでは、物産展で出会ったたくさんのお客様の声を基にして、本やネットからの情報を加えて書いた、コラムや随想などの読み物として楽しんでいただけますと幸いです。

  • 甘食とは
  • 最近では見たことも聞いたことがないという方が多くなっている、絶滅危惧種のお菓子です。
    読み方は『あましょく』で、『甘食』『甘食ぱん』と呼ばれています。
    年配の方にとっては懐かしいお菓子で、逆に若い方は知らない方が増えています。ご存知の方からは、円錐の形を見るだけで『あらあ、懐かしいもの売っているね』『久しぶりに見た』『珍しいのあるね』『まだ売っていたの?』などと声を掛けられます。
    パンや焼き菓子の中では珍しく、漢字の名前がついていて、日本生まれ日本育ちの『素朴な』『懐かしい』『素材の優しい味がする』そんな焼き菓子です。

  • 甘食はいつ頃から
    あるの?
  • 『昔はね2個1セットで5円だったよ』一番多く聞く価格についての声です。戦前~戦後の頃でしょうか?その後『15円だった』『20円だった』『30円だった』と世代によって金額が違うようです。中でも『50銭だった』というお客さんがいたのは驚きでした。
    『50銭だった』のお爺ちゃんの声を聞いていつ頃からあるものなのか気になりました。
    調べてみたところ、東京・芝区田村町にあった『清新堂』さんで明治27年に『イカリ印の巻き甘食』というものが甘食の初めてだということです。
    甘食は大きく2種類に分かれていて、パン生地を巻いて作った“甘食ぱん”と、当店で販売している生地を絞って作る焼き菓子の‘甘食ぱん’があったようです。
    『清新堂』さんの作った『イカリ印の巻き甘食』という名前の感じからするとパン生地で作った甘食だったのではないかと思われます。
    絞って作った焼き菓子の甘食は明治30年頃、文京区にある『名月堂』さんが発祥とされていますが、諸説あるようです。

  • 甘食の価値観が
    違う?
  • 『病気の時だけ父が買ってきてくれた』というお話を聞きました。確かに私も幼い頃に病気の時だけ買ってもらったものがありました。甘食がそんなに地位が高かった時代があったのだと感心しました。他にも『甘食は高価でなかなか買って貰えなかった』というお話も聞き、『甘食を買って貰えるのが嬉しかった』との声も。その後でしょうか『お小遣いを10円持っている時はコッペパンにマーガリンとジャムを塗ってもらって食べて、お小遣いが5円の時は甘食だった』お話や、『給食で甘食が出ると嬉しかった』や『女学生時代に甘食を買おうと購買部に走っていく途中に足を挫いた思い出』また『先輩に甘食を買いに行かされたことを思い出した』方がいました。
    また『お母さんがフライパンで焼いてくれたことを思い出した』などとどこか思い出の琴線に触れるお菓子の様です。
    逆に甘食が粗末なおやつだったお話もあり『パサパサの甘食と脱脂粉乳がおやつだった』という方や『昔はおやつと言えば甘食ばかりでもう食べなくてもいい』などと言う方もいらっしゃいました。

  • 甘食知っている?
    知らない?
  • 『甘食って何ですか?』と聞かれることも少なくありません。年代や性別に関係なく、物産展で販売している場所によって、知っている方と知らない方の比率が変わるのを感じることがあります。若いから知らないわけでもなく、年配だから知っているわけでもない、西日本は売っているところが少なかったようですが、全然知らないわけでもない。
    どんな条件で知っていると知らないとのラインがあるのだろう?『駄菓子屋さんで売っていたよ』や、『近所のパン屋さんで売っていたよ』とお話されるお客様が多いです。現在では当たり前のネットが発達したおかげで、すぐに『人気』の情報や『美味しい』の情報を手に入れることができます。しかし、どうやらネットがなかった頃は、各お店でレシピが秘密だったり、それぞれの系統があって口伝えで広まっていたようです。
    ようするに、駄菓子屋さんやパン屋さんが近所にあったかなかったか、甘食を取り扱っていたかいなかったかで、当時のあったか無かったかが決まっているようです。近年では町のパン屋さん自体が無くなっているので甘食自体が無くなっているのでしょう。若い方に知らない方が多いのも、町のパン屋さんが無くなって、甘食が無くなったということなんだろうと思います。
    老舗の大手パン屋さんで扱っているところもあるようで『木村屋総本家に売ってるよ』や『ドンクで買うよ』とのお話を聞きます。たまにスーパーやコンビニでも大手のパン屋さんの甘食をみかけるそうです。

  • 伝言ゲーム?
  • 口伝えのため、レシピもパン屋さんごとに違っていたようです。
    『もっと大きかった』『もっと小さかった』『もっと柔らかかった』『もっと固かった』『もっと粗末なものだった』『もっとパサパサしていた』『もっとフワフワしていた』『もっとねっとりしていた』『もっと甘かった』『もっと甘くなかった』『もっとあごの裏にくっついた』『もっとのどに詰まった』などお客様の懐かしい味があまりにも違うのです。
    なぜこれほどまでに違いがあるのだろうか?と疑問に思って考えた結果、『レシピが町のパン屋さんごとに違っていた』という結論に達しました。
    お客様にとっての懐かしい味は子供の頃近所にあったパン屋さんの甘食の味で、それぞれ違うんだというのが何とも味があって腑に落ちました。

  • 甘食の有名店
  • 関東での物産展に参加する機会が多いので、関東のお話になりますが、お客様に聞く甘食のお話でよく出てくるお店があります。
    『文京区にね~』でお話が始まると『名月堂』さんの甘食で、ファンの方が多い老舗のパン屋さん(今は作っていないようです)。『小田原にね~』で始まると『守屋製パン』さんで、『あんパンのあんこがたくさん入っていてずっしりしていて、並んであんパンと甘食買ってくるの』と、わざわざ行かれる話を何度も伺いました。
    『横浜にね~』で始まるとこれまた老舗の『コティベーカリー』さんで、昔から甘食は作っていて、NHKの朝ドラ『とと姉ちゃん』で紹介されて注目されたシベリアと言う名前の、これまた懐かしいお菓子が有名なお店です。
    お客様がされる甘食のお話で飛びぬけて多いお店は、『昔、上野にね~』で始まる『永藤』さんのお話です。
    『永藤』さんのお話は特別に多いことに常々驚いています。東京・埼玉・千葉・神奈川どこに行っても物産展期間中、週に2~3回は必ず聞くのです。中でも多いエピソードは『お父さんが東京に行くと、上野によって甘食をお土産に買ってきてくれた』というお話です。
    確かに東北線や常磐線など、当時上野始発の電車は多かったのですが、わざわざ上野で一旦下車して買いに行く甘食ってどういう甘食なのだろうと気になって、尋ねたことがありました。しかし、既に無くなっていてビルだけがそのまま残っています。
    『永藤』の思い出を話されるお客様に聞けた情報は『当店の甘食よりももっと堅かった』
    『当店の甘食よりももう少し大きかった』
    『当店の甘食は似ているらしく、永藤さんの甘食と玉子パンの中間ぐらいの感じみたい』
    『1袋に10個入っていた』
    『喫茶店も一緒に営業していた』
    『上野に行くと永藤さんとうさぎ屋さんに寄っていた』
    『神田からお姉ちゃんと歩いて永藤まで買いに行った』
    『日本橋にも永藤があって、兄弟で営業していた』
    そんなお客様の記憶に残っている名店に似ているといわれるのは光栄なことで、まだあった時に行けなかったのが非常に悔やまれます。
    『永藤』さんを調べていると、高村光太郎と与謝野鉄幹・晶子夫妻の関係を書いているサイトを見つけました。
    http://www.tokyo-kurenaidan.com/yosano1.htm
     高村光太郎は『智恵子抄』で福島と繋がりの深い人物で、高村光太郎と与謝野鉄幹・晶子夫妻を訪ねる時に『永藤』さんに寄ってお土産を持って行ったそうです。また、晶子の甘食という商品も大阪・堺にあるマルミベーカリーにあるそうで時代を感じます。
    https://city.living.jp/osaka/f-osaka/1027654
    『永藤』さんの歴史とお客様の深い思い出を感じます。
    もしかすると、福島市の名誉市民『古関裕而』氏も甘いものが好きだったとのことなので、上京した際に『名月堂』や『永藤』の甘食を食べたことがあるのではないかと思い、息子さんである古関正弘氏に問い合わせたところ、知らないとのことで、残念でした。

     関東について書きましたが、他の地方でもやはりその地ごとに名店の思い出の味はあるようで、物産展で販売しているとその土地で『~の甘食』が美味しかったとのお話はよく聞きます。

  • 甘食のルーツ?
  • 沖縄で物産展をしていると『タンナファックル?』『タンナフックル』または『コンペン?』
    などと聞かれました。沖縄の方に差し入れしていただいて食してみると、確かに甘食っぽい。というよりも、ルーツは一緒なのかと感じました。沖縄で『甘食!懐かしい!』と言う方は本土出身の方で、沖縄には甘食がないことがわかりました。
    有名な『サーターアンダギー』は揚げたものでドーナツに近いように思いますが、生地は近いものを感じます。
    逆に北海道では『子供の頃食べたよ』という年配の方が結構いらっしゃいました。
    九州の方には『丸ぼうろ』が圧倒的で、甘食を知っている方はいるものの、『丸ぼうろ』の歴史を感じます。
    甘食のルーツを辿るってみるとボーロにあるようです。ボーロとはポルトガル語でお菓子全般を指す言葉で、砂糖・小麦粉・卵・牛乳を使った南蛮菓子のこと全体をボーロと呼んでいたそうです。鉄砲やパンなどと一緒に種子島に伝わったのが最初で、その後鎖国をしていた日本の中で出島などに出入りしていた外国人によってもたらされたものである。これらの材料は日本ではそれまでになじみがなく、あったとしても高価なものでした、
    砂糖も卵も貴重で、小麦粉は元々日本でも饅頭などで食べられていたようです。牛乳は江戸時代の終わりごろから飲むようになったようです。
    金平糖やカステラ・カルメラなど、ボーロは歴史が古く、佐賀県の銘菓である丸ぼうろは400年近い歴史があり、発祥は諸説あるようです。長崎のカステラや、大分にもぼうろがあること、また沖縄にも花ぼうろというお菓子があり、焼き菓子のルーツがこの頃にあると想像できます。京都の『ソバぼうろ』や島根の『松葉ぼうろ』など九州辺りから西へと移動してきたような感じがします。

  • 外国の甘食?
  • 外国人の方にこれは何?と聞かれることが多々あります。なんと説明するのがしっくりくるのか未だ試行錯誤中です。‘Not cake. not cookie’ だったり、アメリカの方は‘It’s good! likes scorn’ だったり、台湾にも似たようなお菓子があったり、中でも驚いたのはペルーの方が『お母さんが作ってくれたお菓子の味がする』と言っていたことでした。ベトナムやインドの甘食に似たお菓子の話も聞いたことがあります。
    最近では‘This is amashoku.’と言うことにしています。
    世界各国に甘食のようなお菓子があるのだと思っていたのは実は見当違いで、当店の甘食は至ってシンプルなつくりで、小麦粉・砂糖・卵・バター・練乳・水・重曹だけで作っています。現代のように様々な加工をされた食材や添加物のない時代、似たようなお菓子が世界中にあるのは不思議なことではないと悟りました。
    そして甘食は日本で明治時代に生まれたお菓子で、世界各国のボーロのようなお菓子から派生したお菓子なのだと改めて感じました。

  • 甘食の呼び名の
    由来
  • パンや菓子類では珍しい日本的な名前の甘食なので、
    『なんで甘食って言うのか?』と聞かれることが多いです。これまた諸説あって、私は大体『元々明治の頃にパンが伝わって、主食用のパンつまり現在の食パンやコッペパンなど食事用のパン全体を主食パンや食事パンと呼んでおり、食パンはそれを短くした呼び方で、その後、甘い食事用のパンが甘食ぱんに変化したようです』と答えます。
    日本人の創造力は素晴らしいもので、あんパン、クリームパン、メロンパン、カレーパン、焼きそばパンなどは全て日本生まれのパンだということです。

  • 昔ならではの
    様々な呼び名
  • ところで、甘食を見たお客様がいろんな呼び名で呼ぶことも聞いていると楽しいんです。『カサぱん』『ケサぱん』『へそぱん』『出べそぱん』など、円錐のものが呼び名になっていたり、甘食のてっぺんのバッテン部分をへそに例えたりと、なるほどと思える呼び名が多々ある中で、一番多いのはやはり『おっぱいぱん』です。
    大体がからかっていた話か、からかわれていた話とセットでお話されて行かれる方が多いです。それも年配の方が思い出深そうにお話されます。そんなエピソードが出てくることが嬉しいと感じます。
    『窒息パン』はさすがにつらい気分でした。
    静岡で驚きの呼び名がありました、その名も『葬式ぱん!』別名『ひらぱん』という甘食を平たく大きくしたものらしいのですが、葬式の引き物でよく出ていたそうです。このあたりで言う葬式饅頭のような感じでしょうか?初めて聞いたときは驚きました。静岡では、他にもやはり『富士山ぱん』もあって、納得の安定感です。

  • 焼きたては
    食べたことがない?
  •  『焼きたてが美味しかった』というお話を聞いたのは長い物産展の中でも2回のみで、いずれも近くにパン屋さんがあって食べたというものでした。
    一方、『焼き立てなんて臭くて食えないよ』というお話も何度か耳にしました。
     疑問に思い、調べてみると、焼き菓子の甘食には、大きく分けて2通りの甘食の作り方があったようです。
    当店は重曹のみを使用した昔ながらの作り方のものなので、重曹独特の風味や少し苦みを感じる方もいますが、焼きたての風味と、翌日に馴染んでより甘食の風味を楽しめるようになっています。
    一方で、より膨らんでフワッとするアンモニア系の膨張剤を使った甘食もあったようです。しかし、焼きたてはアンモニア臭があり、匂いが強くて食べられないものだったそうで、冷ますときにアンモニア臭が抜けて匂いがなくなったようです。十分冷ましてからではないと店頭に並べられなかったため、焼きたてが少なかった理由だと推測します。
    中には十分冷まして匂いが抜けていても微妙に匂いを感じる方がいて、それで甘食を嫌いになった方もいらっしゃいました。
    甘食が全盛期を過ぎたころ、どんどんと美味しくて豪華なケーキやパンが増えてきたのも甘食が無くなって行った原因だと考えます。
    また焼いている姿を見たことがある方も少なく、『型を使って焼いているのかと思った』や、『そんな風にして焼くのね』などと興味深そうに眺めていくお客様もいらっしゃいます。

    明治時代に生まれ、大正時代にあちらこちらに伝わり、そして昭和、戦後に急速に全国に広まって行き、いろんな方にいろいろな思い出を残した日本生まれの素朴なおやつ甘食が、平成を過ぎて令和の時代に未だ残っております。
    この素朴で優しい味でホッとしていただけるお客様の顔を見ることと、ご年配の方には懐かしく、子供さんには新しい、この甘食を通して親子3世代、4世代に会話が生まれることが、当店の一番の喜びです。

    当店は甘食を扱うお店としては40年と老舗のパン屋さんには程遠い歴史ではありますが、甘食専門店として焼きたてで甘食を作っているちょっと珍しいお店です。
    物産展を巡り歩いて様々なお客様とお話できたことが当店の財産となり、甘食専門店を出すことになりました。
    最近になって『一通り美味しいもの食べると、基本に戻りたくなる』や『豪華なものを食べていると、素朴なものがホッとする』とのお話をいただきます。
    当店は素朴でどこか懐かしいホッとするモノづくりを心掛けております。
    手作りの良さは本来、家庭の味なのかもしれません。
    手軽に優しい味のものを求める際は是非、当店の甘食と当店を思い出してください。
    『たまに食べたくなるけれど、売っているところがない』とのお声も聞きます。
    そんなときは素朴な懐かしい味をお届けいたします。
    その際はご一報いただけると幸いです。

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